安倍政権の危うい安全保障政策
半田滋(防衛ジャーナリスト)
憲法改正と集団的自衛権行使の解禁に前のめりな安倍首相。だが、その安全保障観にはあぶなっかしさが漂う。とくに「国家安全保障基本法案」は、憲法を根底からなし崩しにする「爆弾」だ。防衛取材20年以上のベテラン記者がその問題点を明らかにする。
フェイスブックに感情的な書き込み
安倍晋三首相の人物像を知る手がかりとなる言葉が本人のフェイスブック(FB)に掲載されている。2013年6月12日付の毎日新聞のインタビュー記事で、田中均・元外務省アジア大洋州局長が「国際会議などで極端な右傾化をしているという声が聞こえる」と安倍首相の政策を批判したのに反発して、この日のうちに書き込んだものだ。
安倍首相は、02年に北朝鮮から一時帰国した拉致被害者5人の扱いをめぐる官邸の議論で、田中氏が「北朝鮮に送り返すべきだ」と主張したと指摘。官房副長官だった自分は小泉純一郎首相の了解をとって日本にとどめたと紹介している。
さらに「田中氏から伝えられた北朝鮮の主張の多くがデタラメ」と批判し、「田中氏の判断が通っていたら、拉致被害者や子どもたちは北朝鮮に閉じ込められていた」と強調。「外交官として決定的判断ミス」「そもそも彼は交渉記録を一部残していない。外交を語る資格はない」と散々にけなしている。
日本の首相がこれほど感情的な文章を公表した例はほかに知らない。秘密にすべき外交にかかわる政府内部のやり取りを、だれでも読むことができるFBで公にした点も注目に値する。
田中氏はインタビューで、北朝鮮の拉致問題には一切触れていない。「安倍首相の侵略の定義や河野談話、村山談話をそのまま承継するわけではないとの発言や、麻生太郎副首相らの靖国参拝などで、右傾化が進んでいると思われ出している」と安倍政権の右傾化が日本攻撃の口実にされかねないと指摘しているにすぎない。
安倍政権に対するもっともな指摘だが、身内同然だった官僚から批判されたことに我慢がならなかったのだろう。筋違いの過去の因縁話を暴露して、うっぷん晴らしをする様は誠に情けない。首相の品格などどこ吹く風である。こんな人物に日本のかじ取りを任せていることの重大性をあらためて考える必要がある。
陸上自衛官を船乗りに?
安倍首相の勘違いは、いまに始まったことではない。首相になる前の12年11月、自由民主党総裁として都内で講演し、「今から(海上保安庁の巡視船を建造するための)予算をつけても、船ができるのは2年後だから間に合わない。退役した自衛艦を海保に移し、即応予備自衛官を海保に編入させる必要がある」と訴えた。これはおかしな主張だ。
なぜかといえば、海保の巡視船は重油で動くディーゼル・エンジンであるのに対して、海上自衛隊の護衛艦は軽油のガス・タービンエンジンとエンジン構造が異なるため、海保が護衛艦を受け取っても使いこなせないからだ。退役予定だった「みねゆき」「さわゆき」は海保に編入されることなく、3月と4月に退役した。小野寺五典防衛相は海上保安庁に検討するよう求めたが、時間の無駄だった。
もっとおかしいのは海保に即応予備自衛官を編入させるとの主張だ。即応予備自衛官は約5800人いるが、すべて陸上自衛官である。陸上戦闘のプロを船乗りにしろというのは筋違いだろう。安倍首相は06年から07年まで首相として自衛隊の最高指揮官を務めたが、護衛艦のことも、即応予備自衛官のことも知らなかったと考えるほかない。この勘違い発言は価値ある提言のように報道され、メディアの劣化が証明されることにもなった。
勘違いというより、事実をねじ曲げた発言もある。13年2月15日にあった自民党憲法改正推進本部で安倍首相はあいさつの後、非公開の場で約15分間講演した。
翌日の朝日新聞によると、安倍首相は北朝鮮による拉致被害者を引き合いに出して「こういう憲法でなければ、横田めぐみさんを守れたかもしれない」と改憲を訴えたという。1970年代から80年代にかけて日本各地であった失跡事件について、警察庁は当時から北朝鮮による拉致と確信していた。しかし、政治がその重い腰を挙げるのは2002年、小泉純一郎首相の訪朝まで待たなければならなかった。
北朝鮮と向き合ってこなかったのは自民党政権の問題であって、憲法の問題ではない。日本が改憲して「国防軍」を持てば、北朝鮮は頭を下げ、拉致事件は解決するのだろうか。では、日本とは異なる憲法を持ち、国防軍が存在する韓国でも500人近い拉致被害者がいる理由を安倍首相はどう考えているのか。
ハイジャックに屈したのは憲法のせい?
同じ日の東京新聞は講演内容を次のように伝えている。出席者によると、首相は「憲法に由来する問題点」として、1977年にバングラデシュのダッカで日本航空機がハイジャックされ、政府が日本赤軍の要求に応じて服役囚を釈放した事件を紹介。「憲法に抵触するために警察や自衛隊による救出作戦ができず、テロリストに屈したと世界から非難された」と説明したという。
安倍首相は「世界から非難された」というが、70年代に世界で多発したハイジャック事件で、犯人の要求を飲んでテロリストを釈放するのは珍しくなかった。日本を含め、多くの国が強行手段に訴える特殊部隊を持たなかったからである。
ダッカ事件と同じ年にルフトハンザ航空機が乗っ取られたとき、旧西ドイツの国境警備隊に属する特殊部隊「GSG9」が急襲して人質全員を解放できたのは、72年のミュンヘン・オリンピックで11人が殺害される事件をきっかけにGSG9が設立されたからである。
日本ではダッカ事件を契機に特殊部隊の設立が検討され、96年、警視庁、大阪府警など7つの警察に特殊部隊「SAT」が正式に誕生した。今では、ハイジャック事件はこのSATが対応している。
安倍首相は「憲法に抵触するために警察や自衛隊による救出作戦」ができなかったというが、当時SATは存在していなかったのだから仕方ない。あるいは犠牲者が出ることを覚悟してでも強行手段に訴えることは不可能ではなかった。だが、「一人の生命は地球より重い」といって犯人の要求に従ったのは当時の福田赳夫首相の判断であり、憲法の問題ではない。
なぜ、事実をねじ曲げるのだろうか。憲法を変えれば日本はよくなるという半ば信仰に似た思い込みがあるのだろうか。安倍首相はアメリカやイギリスをまねて「日本版NSC(国家安全保障会議)」の設置を目指している。これらの事実からみえてくるのは、改憲や組織改編が外交や安全保障の問題を解決すると考える、安易な姿勢である。問題を解決するのは政治なのだが、その政治力は改憲や組織改編のために使うという堂々巡りとなっている。
「侵略の定義」は本当に存在しないか
安倍首相は過去の戦争に触れられると冷静さを失う傾向にある。靖国神社の春の例大祭で麻生太郎副首相など閣僚3人を含む国会議員168人(うち自民党132人)が公式参拝した。マスコミが参拝した国会議員の記録を始めてから最多である。中国、韓国から批判を受けると安倍首相は「わが閣僚は、どんな脅かしにも屈しない」と色をなして反論した。
中韓の反発には布石がある。安倍政権は、過去の植民地支配と侵略への痛切な反省と心からのおわびを示した95年の「村山談話」、慰安所設置に旧日本軍が関与したとの93年の「河野談話」の見直しを公言した。第二次世界大戦前の日本を肯定したうえ、A級戦犯が合祀された靖国神社に閣僚を含む大勢の国会議員が参拝すれば、両国が「日本は戦前のような軍国主義に戻るのか」と懸念を表明するのは当たり前の話ではないのか。
安倍首相は4月23日の参議院予算委員会で「村山談話」について聞かれ、「侵略という定義は学界的にも国際的にも定まっていない。国と国との関係でどちらから見るかで違う」と答弁した。首相が言うのだから正しいのだろうと思うと間違える。74年の国連総会決議3314は侵略の定義を明快に示し、条文で具体的な侵略行為を挙げている。日本も参加して、全会一致で決議された。この事実を指摘されると、安倍首相は「私は侵略しなかったと言ったことは一度もない」(5月15日参院予算委)とはぐらかした。
中国や韓国からの批判には強い姿勢で望む安倍首相は、アメリカには弱い。ワシントンポスト(4月26日電子版)が「歴史を直視していない」と安倍首相を批判する社説を掲載、アメリカ議会調査局は5月1日の報告書で首相を「強固な国粋主義者」と表現した。すると安倍首相は村山談話について、「政権として全体を受け継いでいく」とトーンダウンさせた。
毎日新聞のインタビューで田中氏が述べている通り、「現実的な道をとろうとしていると思う。しかし、あまり繰り返すと、根っこはそういう思いをもっている人だと定着してしまう」との懸念はあたっているのだろう。もはや中国、韓国、アメリカは、過去の歴史認識を見直し、改憲して国防軍をもつことにこそ、安倍首相の狙いがあるとみているのではないだろうか。
国会の改憲勢力は自民党、日本維新の会、みんなの党の3党である。衆院では改憲に必要な議席を占めているが、橋下徹共同代表の従軍慰安婦発言で、維新の会は失速した。安倍首相は「7月の参院選挙で改憲案の発議に必要な3分の2の議席確保は不可能だ」と言い出し、早急な日程設定を否定した。長期政権を目指し、いずれ改憲できればよいとの余裕であろう。
急浮上する「国家安全保障基本法案」
著者情報
防衛ジャーナリスト
半田滋
はんだ しげる
1955年、宇都宮市生まれ。元東京新聞論説兼編集委員。獨協大学非常勤講師。法政大学兼任講師。2007年、東京新聞・中日新聞連載の「新防人考」で第13回平和・協同ジャーナリスト基金賞(大賞)を受賞。著書に『安保法制下で進む! 先制攻撃できる自衛隊―新防衛大綱・中期防がもたらすもの』(あけび書房)、『検証 自衛隊・南スーダンPKO-融解するシビリアン・コントロール』(岩波書店)、『零戦パイロットからの遺言-原田要が空から見た戦争』(講談社)、『日本は戦争をするのか-集団的自衛権と自衛隊』(岩波新書)、『僕たちの国の自衛隊に21の質問」(講談社)、『「戦地」派遣 変わる自衛隊』(岩波新書)=09年度日本ジャーナリスト会議(JCJ)賞受賞、『自衛隊vs.北朝鮮』(新潮新書)などがある。