日本はなぜ国際捕鯨委員会から脱退したのか
昨年(2018年)12月26日、菅義偉官房長官が、日本は国際捕鯨委員会(IWC)を脱退すると正式発表した。なぜ脱退する必要があったのか。映画『おクジラさま ふたつの正義の物語』の佐々木芽生監督が、昨年のIWC総会で議長を務め、あるいは日本政府代表として長年にわたってIWCと捕鯨を巡る国際論争の最前線に立ってきた森下丈二氏(東京海洋大学)に、今回の脱退に至る経緯などを聞いた。

脱退までに5年の準備
佐々木 今回、IWCを脱退するという発表が出たときに、日本で「国際協調路線を乱していいのか」「もっと粘り強く交渉できないのか」といった批判的な声が多く上がったのは、私には意外でした。今までは「捕鯨は日本の伝統だ」と、メディアも世論もどちらかと言うと捕鯨擁護の声の方が強かったからです。おそらく、政治的な思惑で強引に脱退に至ったのではないかという印象を持った人が多いからではないかと思います。
森下 政治的な判断で唐突に決めたと言われているようですが、それは全く違います。昨年9月のブラジルのIWCでは、非常に残念な結果となりましたが、それまでにだいたい5年ぐらいかけて、すべての道を探りながら、いざとなったら最終的に脱退もやむを得ない状況となることは想定して準備を進めてきました。こうした経緯は隠してきたわけではないので、IWCでの日本の長年の交渉を見てきた人には、脱退の可能性が現実的に高まってきていたのはわかっていたはずです。
佐々木 一部の力ある政治家、具体的には、捕鯨が盛んな和歌山県出身二階俊博自民党幹事長と、南極海の調査捕鯨の発着基地がある山口県出身の安倍晋三総理という捕鯨への思いの強い二人が、力ずくで決めたという印象がありますね。そうした印象が世論の反発につながったのではないかと思います。
森下 そこへの反発はあるでしょうね。ただ、日本の意思決定システムというのは、役所が多くのことを検討しつくしたうえで、重要決定として政治家に持っていくものです。だから、通常は、唐突にそういうことが決まることはありません。自民党を中心とした国会議員は、2006年の時点ですでに脱退も含めたあらゆるオプションを検討すべきという提案をしていました。20年近く捕鯨問題にかかわっていて、事情をよく知っている政治家の方からすると、今まで動かなかった役所がやっと動いたという感じだと思います。
捕鯨への譲歩は、テロリストとの交渉と同じ
佐々木 これまで私はIWCを3度取材しましたが、捕鯨賛成と反対陣営に分かれて感情的な議論や対立ばかりで何も合意に達することができず、この国際組織が機能不全に陥っているのは素人の私から見ても明らかでした。私は日本がそのような国際組織でムダな労力を費やすより、脱退という道を選択したのは賢明だったと思います。なぜIWCは改善されなかったのでしょうか?
森下 私は「和平交渉」と呼んでいるのですが、IWCでは、1990年代の終わりから様々な試みが行われました。しかし、全て失敗に終わったのです。なぜかというと、片方ではクジラを持続的に資源として利用しようという国々がいて、もう片方では捕鯨は悪だとして、一頭も捕らせないというグループがいる。通常の国際交渉であれば、そこで何らかのかたちで妥協案を作ります。ところがIWCでは、そうはならないのです。反捕鯨国からすると、交渉して少しでも捕鯨枠を認めるというのは、テロリストと交渉をして彼らの活動を認めることに近い。テロリストとは交渉しないとよく言われますよね。だから、捕鯨賛成の日本と交渉して少しでも捕鯨を認めたとなれば、反捕鯨国の交渉担当者は解任されたり、あるいは政府は世論やNGOから批判を浴びることになるのです。私は30年近くIWCで交渉してきて、こうした反捕鯨国の事情がだんだん見えてきました。

失敗に終わった共存への提案
佐々木 交渉が成立しないような、無茶苦茶な国際組織でどうやって議論を続けられるのでしょうか。
森下 私の中では2013年以降、議論の方向を変えました。日本はそれまで科学的なデータを集めて納得してもらうというアプローチを取ってきましたが、それでは無理だということが、その時点ではっきりしたのです。
そこで2014年、2016年、2018年の会議と3段階のステップを取りました。2014年スロベニアの会議では、今までの議論では出口がないということを示す――それが第一のステップでした。そのためにまず、日本としては最大限の妥協をした形で日本の沿岸捕鯨の捕獲枠提案を行いました。IWCの科学委員会がお墨付きを与えていた17頭という非常に少ない捕獲枠で、さらに、監視取り締まり措置など反捕鯨国が条件としていたものも全部認めた提案だったのですが、想定通り、これが否決された。
それまでだったらそこで終わるわけですが、私はさらに一歩踏み込んで、「なぜ反対したんですか?」と反捕鯨国に会議期間中何度も問いました。「科学的に1頭になれば許せるのか」など、様々な角度から聞いたのですが、反捕鯨国からは「商業捕鯨に反対だから反対です」という理由にならない答えしか返ってきませんでした。さらに総会後にも、公開書簡に近いかたちでIWCのウェブサイト上で議論をしましたが、答えは同じで「われわれは、反対だ」という簡単な答えが返ってくるだけでした。
第二ステップの2016年の会議では、「クジラと捕鯨についてお互いの考え方が違うことを認めたうえで、この状況をどうすればいいのかを話し合おう」と提案しました。会議の期間中、様々な国の代表者と話すと「対話は喜んで」という答えが返ってきました。そこで「会議が終わったらウェブサイト上で公明正大な透明感の高い議論をしよう」ということになりました。ところがその後、反捕鯨側のいくつかの主要国は「公の場では議論をしたくない」と言う。つまり、反捕鯨側としては捕鯨国との交渉が公に見えることがダメなのです。
そこで、2018年の会議の第三ステップでは、IWCという一つ屋根の下で全く違う考えが共存できないかを模索しました。具体的にはIWCの下で二つの下部委員会を作って、片方は持続的捕鯨委員会(捕鯨賛成派)、片方は保護委員会(捕鯨反対派)にして、お互いが決めたことを上に上げていく。そして基本的には互いに邪魔しないようにしましょうという「共存提案」をしました。しかし、残念ながらこれも総会で否決されました。
一方、18年のホスト国で急進的な反捕鯨国であるブラジルは「フロリアノポリス宣言」を出してきました。これは「国際捕鯨委員会は進化しました」「今後はクジラの保護のために頑張りましょう」という宣言で、ある意味で日本の共存提案への反対声明だったのです。これが可決されてしまいました。
日本は2018年のIWCが終わった9月の時点ではまだ脱退を決定していませんでした。その後、安倍総理まで含めて議論が行われ、12月末に菅官房長官の脱退発表となったという経緯です。
実は、私は「共存提案」を出すときに「一緒に脱退通知してはどうか」と言ったのですが、その案は日本政府の中で通りませんでした。脱退通知をしていれば、日本の本気度が国際社会にも伝わるし、日本国内でもそれを受けてもっと透明性のある議論ができたのではないかと思います。

クジラ保護の仲良しクラブに変質したIWC
佐々木 なるほど。長い交渉のプロセスを経て脱退に辿り着いたということですね。2018年のIWC総会では、森下さんは日本政府代表ではなく、議長を務められたわけですが、議長という立場になったことで何か新たに見えたことはありますか?
森下 議長の立場から見ると、IWCが変質しているのがより明らかでした。多くの参加国・参加者の興味が、科学委員会も含めて、クジラの保護の方に向いているのです。話し合われるのは、定置網などで他の魚に交じってクジラが捕獲されるとか、気候変動でクジラの生息環境が悪くなるとか、そんなことが中心になっています。
以前は、科学委員会に200人近い科学者が集まって、日本の調査について、クジラを捕るか捕らないかで、喧々諤々の議論をしていたのですが、今はそんな議論に興味のある人はほんの一部です。
特に若い科学者は、自分たちが今までやってきた気候変動と海洋生態系の関係、混獲などの問題について論文を出す方が大事だと思っています。中立の議長の立場から見ると、反捕鯨国は、捕鯨を続けている日本やノルウェーを、明治維新が終わってもまだチョンマゲと刀を持って歩いている人のように見ていることが窺えました。少し前までは倒幕だ、幕府側だとお互いに本気で戦っていたのが、もう勝負がついて維新政府はできている、と。反捕鯨国からすると、すでに勝負はついているという感じで、IWCも見かけ上は「クジラ保護クラブ」で和気あいあいとやっている印象が非常に強くなったので、対立してピリピリした雰囲気になることは減っています。
南極海への固執はなかったのか?
佐々木 日本が南極海で続けている調査捕鯨は、日本が批判される大きな要因の一つです。これを放棄すれば、沿岸捕鯨を認めてもいいという提案が過去に反捕鯨国側からあったにもかかわらず、日本側がかたくなに拒否して、南極海での捕鯨にこだわった、と報道などでは言われています。では、なぜそのときの提案に応じなかったのでしょうか、そうしておけば今回IWCから脱退する必要はなかったのではないか、という批判もあります。
著者情報
東京海洋大学教授
森下丈二
もりした じょうじ
1957年、大阪府生まれ。京都大学農学部水産学科卒業。米国ハーバード大学大学院卒業(公共政策学修士)。農学博士(京都大学)。1982年に農林水産省入省。国連環境開発会議(地球サミット)、ワシントン条約会議など、海洋生物資源の保存管理の観点から一連の環境問題について担当。1993年より在米国日本大使館一等書記官。捕鯨問題、大西洋マグロ保存国際委員会を中心に日米漁業交渉を担当。帰国後水産庁に復帰し、1996年より国際課にてミナミマグロ問題などを担当。1999年より遠洋課捕鯨班長として、国際捕鯨委員会(IWC)の日本代表団の一員として活躍。2008年より水産庁参事官。2013年より水産総合研究センター国際水産資源研究所所長を経て2016年4月より東京海洋大学教授。
著書・論文には、「Whaling in the Antarctic – Significance and Implications of the ICJ Judgement」共著、BRILL NIJHOFF, 238 -267 (2015)、The truth about the commercial whaling moratorium 単著、Senri Ethnological Studies, 83, 337-353 (2013)、「捕鯨の文化人類学」共著、成山堂書店, 283-301 (2012)、「水産の21世紀-海から拓く食料自給」共著、京都大学学術出版会, 51-76 (2010)、What is the ecosystem approach for fisheries management? 単著、Marine Policy, 32, 19-26 (2008)、 Multiple analysis of the whaling issue: Understanding the dispute by a matrix 単著、Marine Policy, 30, 802-808 (2006)、「なぜクジラは座礁するのか? 「反捕鯨」の悲劇」単著、河出書房新社, 238p (2002)など。
国際捕鯨委員会、南極海洋生物資源保存委員会(CCAMLR)、北極公海漁業協議日本政府代表。北太平洋漁業委員会(NPFC)科学委員会議長、国際捕鯨委員会(IWC)前議長。
映画監督・プロデューサー
佐々木芽生
ささき めぐみ
北海道札幌市生まれ。1987年よりニューヨーク在住。フリーのジャーナリストを経て、1992年よりNHKアメリカ総局勤務。『おはよう日本』にてニューヨーク経済情報キャスター、世界各国から身近な話題を伝える『ワールド・ナウ』NY担当レポーター。その後独立して、NHKスペシャル、クローズアップ現代、TBS報道特集など、テレビの報道番組の取材、制作に携わる。2008年、ささやかな収入で世界屈指のアートコレクションを築いたNYの公務員夫妻を描く、初の監督作品『ハーブ&ドロシー アートの森の小さな巨人』を完成。世界30を超える映画祭に正式招待され、米シルバードックスドキュメンタリー映画祭、ハンプトン国際映画祭などで、最優秀ドキュメンタリー賞、観客賞など多数受賞。NY、東京でロング・ランを記録した他、全米60都市、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなどで公開される。2013年、続編にあたる『ハーブ&ドロシー2 ふたりからの贈りもの』を発表。1作目とともに、現在も世界各国の劇場、美術館、アートフェアで上映が続いている。2014年、NHK WORLDにて、日本の美術を紹介する英語番組ART TIME-TRAVELERナビゲーター。2016年、3作目にあたる長編ドキュメンタリー映画『おクジラさま ふたつの正義の物語』を完成。本作は2015年TOKYO DOCSにて最優秀企画賞受賞、2016年釜山国際映画祭コンペティション部門に正式招待された他、ロードアイランド国際映画祭、トロント・リールアジアン国際映画祭で最優秀作品賞受賞。日本では、2017年に全国で劇場公開された。同年8月、初めての書き下ろしノンフィクション作品『おクジラさま ふたつの正義の物語』(集英社)が出版され、科学ジャーナリスト賞2018受賞。