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原発に代わるエネルギーは実現できる!

「ソーラーシェアリング」が電力・農業・食糧問題の解決に

吉原毅(城南信用金庫顧問/原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟会長)

(構成・文/村山加津枝)

 2017年4月14日、脱原発自然エネルギー推進団体の連携をめざす全国組織「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟原自連)」が、連盟発足の記者会見を開いた。顧問に、小泉純一郎細川護煕の2人の総理大臣経験者が名を連ねたことでも話題となったこの原自連の会長には、吉原毅城南信用金庫相談役(当時)が就任した。同信用金庫理事長に就任間もない2011年3月、東京電力福島第一原子力発電所事故が起きた直後から、脱原発を訴え続けてきた吉原氏が、原発に代わる電気事業として注目しているのがソーラーシェアリングだ。さらに、農業問題も同時に解決できる可能性を秘めるというこの事業について、詳しく聞いた。

原自連会長に就任した理由

「原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟(原自連)」の会長に、私が就任したことを不思議に思う方がいらっしゃるかもしれません。そこで、少しだけ自身のことをお話ししておきたいと思います。
 私が城南信用金庫の理事長に就任したのは、2010年11月のことでした。その約4カ月後に東日本大震災と原発事故が起きました。実は私はそれまで原発肯定派でした。その考えが根底から覆されたのがあの事故でした。その責任の一端は「クリーンなエネルギー」という言葉にだまされていた自分にもあると考え、徹底的に調べました。
 企業の社会的責任CSRを改めて見つめ直し、2011年4月1日に、城南信用金庫のホームページ上に「原発に頼らない安心できる社会へ」というメッセージをアップすることにしました。これには内外から様々な反応がありましたが、少なくとも金庫の職員は最終的に全員が賛成してくれました。
 広報部に在籍していたこともありマスコミには多くの知己を得ていましたから、このメッセージを発信した直後、新聞やテレビの取材を複数受けました。しかしそれが記事になることもオンエアされることもありませんでした。インターネットメディア「OurPlanet-TV」だけがいち早く発信してくれ、大きな反響を得たことで、新しいメディアの力を実感しました。
 同じ2011年4月から、職員と共に幾度となく被災地に足を運び、その現状を目の当たりにするにつけ、利益よりもCSRを優先すべきという思いを強くしました。まず自分たちができることから始める、具体的には本店と情報センターの屋上にソーラーパネルを設置、全店舗に自家発電機を導入、10店舗の照明をLEDに代えて省エネをはかりました。以後、順次導入を進め、電力会社も新電力に変更しています。

「ソーラーシェアリング」とは?

 2012年4月、「原発の依存度を下げていこう」と訴えていた小泉純一郎元首相に当庫の講演会への参加をお引き受けいただきました。小泉元首相は13年8月、フィンランドの高レベル放射性廃棄物の最終処分場オンカロの視察をし、「原発即時ゼロ」へと大きく舵を切りました。
 私自身も、再生可能エネルギーと他の様々な問題とを絡めながら、さらに勉強しました。そして出会ったのが「ソーラーシェアリング」でした。
 ソーラーシェアリングは、農業機械関連企業で新規事業や製品の開発設計に従事し、約400件の発明をした長島彬先生が開発をしたシステムです。「太陽エネルギー(solar)」と「分かち合う(sharing)」を組み合わせた先生の造語でもあります。
 具体的には、まず農地に簡易な架台を設置、そして農機を使って農作業ができるスペースを確保できる高さに太陽光発電用パネル(モジュール)を並べ、農作物を作りながら発電もしてしまおうというものです。
 先生は、約40年勤めた企業を退社されたあと、CHO技術研究所を設立され、同時にもう一度学び直そうと慶應義塾大学法学部に入学、一般教養の生物の教科書で「光飽和点」の存在を知りました。植物には、光が当たり過ぎるとそれ以上光合成をしなくなるという性質があります。その分岐点が光飽和点です。
 先生は、原子力発電はとてつもなく危険なシステムだから違う発電システムが必要だと考え、すでに1995年ごろから太陽光発電に注目していました。そこで、この光飽和点という概念を太陽光発電に応用できないかと考え、たどりついたのがソーラーシェアリングだったのです。

特許出願で誰もが使える環境に

 まず、作物に適度な光量を当てるため、モジュールの形態を模索しました。太陽光発電というとメガソーラーを思い浮かべる方も多いことでしょう。しかし、ソーラーシェアリングの場合、農作を重視することから、作物に必要な光量と、農作業の空間を確保しなければなりません。壊れて作物に被害を与えることのないよう強度も必要です。導入費用や管理費用もなるだけ低く抑え、参入しやすい環境作りも大事です。
 そこで、パネルを細身にしたり適確な遮光率を算出したりして、こうした数々の問題点をクリアし、2004年3月に特許出願にこぎつけます。
 長島先生が特許出願したのは、日本は先願主義なので、先に出願したほうが優先されるからです。もしも他の人が同じようなものを開発して先に出願し、特許を取って権利を占有してしまうと、自由にこのシステムを使えなくなります。そうした事態になることを防ぎたかったのです。
 そして2005年に出願公開となったことで、世界中の誰もがソーラーシェアリングの技術を使える環境が整いました。けれども、新しい試みであったことや福島の原発事故前ということから、なかなかすぐには成果に結びつきませんでした。
 その後、2010年5月、千葉県市原市でソーラーシェアリングの実証試験場を始めます。いろいろな作物を実際に育ててみると、小松菜やカブ、ニンジンやジャガイモなど、ソーラーシェアリング下のほうが生育の良い作物が数多くあることがわかりました。
 太陽光が当たり過ぎて大変なのは農作物だけではありません。炎天下は農作業する者にとってもきつい状況ですが、パネルが日陰を作りますから暑さを緩和してくれます。さらに、水分の蒸発を防ぐことから日照り災害の防止にもなります。
 東日本大震災の際、市原市でも震度5を記録しました。同じ年の10月には大型台風が直撃しましたが、ソーラーシェアリングの装置にはほとんど影響がありませんでした。

農業離れや自給率など諸問題の解決に

 農家の現金収入は決して大きな額ではありません。ところがソーラーシェアリングは売電という別な収入が得られます。その額は耕作収入の約10倍と見込まれており、それが実現できれば農家の生活は大きく変わることでしょう。
 普通の農家の収入が増えるということは、お金を使う機会も増えますから、地方にどんどんお金が行き渡ることになります。これまで都会に出るしかなかった農家の若者たちが地元に帰れるようになって、しかもお嫁さんも一緒なら少子高齢化も解消されるかもしれません。
 すでに太陽光発電や風力発電を推進しているデンマークやドイツでは、実際に地方経済の活性化という現象が起きています。海外では企業が行う大規模で機械化された農業によって、食の安全が脅かされ、貧富の格差が拡大し、景観が損なわれ、何より伝統的な農村社会の崩壊が問題になっています。日本も、もう一度、農業を担う人材が育つ社会を作らなければ同じ問題が起こり、さらに今でも自給率が低いのに、将来が心配です。
 当初、農林水産省(農水省)は、ソーラーシェアリングの架台の設置が農地を別の目的で使用する農地転用になり、許可が必要であるという見解を持っていました。これでは、太陽光発電はできても、農地としては使用できないことになります。
 そこで、長島先生は農水省に働きかけて、2013年3月に、3年ごとの更新が必要なものの「一時転用」と認める指針を公表するまでにこぎつけました。ただし、これには面倒な手続きが必要なため、先生は希望する人たちに届け出のアドバイスもしています。この手続きが面倒なことには、売電のほうがお金になるからと耕作の手抜きをすることのないようにする、農業が健全で持続的に行われるようにするという意図があります。

「太陽光パネルが公害になる」は言いがかり

著者情報

城南信用金庫顧問/原発ゼロ・自然エネルギー推進連盟会長

吉原毅

よしわら つよし

1955年東京生まれ。慶應義塾大学経済学部卒業後、77年4月に城南信用金庫に入庫。92年に37歳で常勤理事、96年に常務理事になり、副理事長などを経て、2010年11月に理事長に就任。協同組織である信用金庫の原点回帰を打ち出し、様々な改革を実行する。15年6月、60歳で理事長職を退き相談役に。17年6月より現職。主な著書に『原発ゼロで日本経済は再生する』(14年、角川oneテーマ21)、『城南信用金庫の「脱原発」宣言』(12年、クレヨンハウス)、『信用金庫の力――人をつなぐ、地域を守る』(12年、岩波ブックレット)、他に共著も多数。(2017.8)

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